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鉾スギ
- 推定樹齢 1300有余年
- 樹 高 約43m
- 幹周り 9.6m(目通り)
鉾スギは、近津神社の神木として、同社勧請の際植えられたものといわれています。名称の由来は、その昔、源義家(八幡太郎)が奥州平定に赴く際、同社に立寄り、自らの鉾をこの杉に立掛けて武運長久と戦勝を祈願したところからこの呼名があると伝えられています。社伝によると、康平年間(1058~1064)、源義家が戦勝を祈願し、保三千貫文を寄進したとあり、近津神社と義家との関わりを示します。義家は、平安末期、前九年の役(1051~1062)に際し、朝廷の命を受けて陸奥に赴き、安倍氏を討伐、その際、父頼義を助けて奮戦し、その武功により出羽守に任ぜられました。大子地方に残る義家伝説にはほかに、義家が奥州征伐に行く途中、峠の山頂に立って弓を取り、矢を放ったという弓取峠(大生瀬)の話が残っています。その放った矢が矢祭山(矢祭町)に着き、義家がそれを記念に祀ったのが矢祭神社であるといわれています。近津神社の鉾スギも、こうした話とともに名将義家に因んだ説話の一つであります。
近津神社は、社伝によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)の創建といわれ、慶雲4年(707)、社殿造営、朝廷から神鏡、霊剣、金鈴などが奉納されたといわれています。延暦20年(801)、坂上田村麻呂の参籠、康平年間源義家戦勝祈願が伝えられ、中世には鎌倉公方足利満兼の寄進、佐竹氏、岩城氏等の社殿造営寄進などが相次ぎ、戦国大名の近津神社に加えた手厚い保護を物語っています。「保内は住古より近津の神領なるべきにや」(『水府志料』)といわれるように、同社はかつて保内郷(大子地方一帯)の郷社として広く尊崇されてきました。鬱蒼とした境内には、鉾スギのほかに、推定樹齢約700年を数える都々母杉(つつもすぎ)もあり、参拝に訪れる人の興味を引いています。
- 区分:茨城県指定文化財
- 種別:天然記念物
- 員数:1株
- 所在地:下野宮1626(近津神社)
- 指定年月日:昭和6年10月13日
地図を見る:鉾スギ
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