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近津神社の中田植
中田植は、下野宮近津神社で毎年夏至の日に行われる田植祭です。夏至の日は二十四節気の中(ちゅう)に当たり、昔の田植え時期のほぼ半ばであるところから、中田植の名があるといわれています。
この田植祭がいつ頃から行われているのかはっきりしませんが、かつては水戸義公(徳川光圀)寄進の神饌田(しんせんでん)に植える習わしであったと伝えるから、江戸時代前中期にはすでに行われていたものと思われます。その後、神饌田はより拡張されたといわれています。
祭りは、まず神殿にて修祓(しゅうふつ)、祝詞(のりと)奏上、王串奉奠、田植歌奉納などの神事を行った後、田植神事に入ります。神田に注連縄が張られ、祭主(神宮)による修祓の後、太鼓、笛、鼓の奏楽に合わせて田植歌の唄われるなかを、10余名の早乙女(さおとめ)が神田に苗を植え付けます。早乙女は、浅葱(あさぎ)の襦袢(じゅばん)に赤襷をかけ、赤いもんぺをはき、すげ笠をかぶります。田植歌奏楽は、神田わきに設けられた囃子舞台にて、田植歌保存会により行われます。祭事に奉仕する人々は、氏子の中から厳重な審査を経て選ばれた男女20名ほどです。
この日は、神饌田の一部が一般の者にも開放されますので、人々は、自由に田植えに参加できます。参詣人は、五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈願し、植え残りの苗と境内の寒竹をもらって帰ります。持ち帰った苗は家の神棚に供え、寒竹は馬に食べさせたり、田の中にさしたりします。苗は豊作のもとに、寒竹は馬に食べさせると病気に効くとのいい伝えがあります。また、境内の神馬(しんめ)舎には木彫の神馬が納められていますが、参詣人は、子供を連れてきて「はしかくぐり」と称して神馬の腹の下をくぐらせます。はしか除けになり、麻疹が軽くすむといわれています。
このほか、近津神社には、御筒粥祭、七日まち、御枡廻しなどの祭りがあります。御筒粥祭は、追儺祭に続いて正月15日の深夜行われるもので、「かゆ」によってその年の豊作物の豊凶を占うというものです。七日まちは、旧11月7日に江戸時代から行われてきた市日の名残で、豊作のお礼祭りで、神社の例祭でもあります。御枡廻しは、その年に収穫した籾を入れた枡を菰に包み弊束を立てたものを、当屋では10月28日に引受け、御枡小屋に奉斎し、7年を過ぎた同じ日に新しい籾を入れた御枡を次の当屋に引渡す神事です。種子の頒有が神意に基づいて行われる古い信仰を表しているものです。棚倉町八槻の都々古別神社には、種籾を「ツツコ」に入れて農民に分与するという神事があり、御枡廻しの神事と似た形を示しているのも興昧深くあります。
下野宮近津神社の祭神は、級長津彦(しなつひこ)命、面足(おもたる)尊、惶根(かしこね)尊の3柱ですが、こうした同社の祭事は、一貫して農業の守護神としての性格をよく表しています。五穀の豊かな実りは、人々の切なる願いです。近津神社の田植祭やその他の祭りには、そうした願いが色濃く表われています。
中田植(神事)
中田植(田植歌奉納)
- 区分:大子町指定文化財
- 種別:無形民俗文化財
- 所在地:下野宮1626(近津神社)
地図を見る:近津神社の中田植
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