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徳川斉昭の歌碑
水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)は、天保5年(1834)陰暦4月、大子地方へ巡村しました。巡村は、村々の状況を視察するためです。4月1日、上金沢から町付に至り慈雲寺に宿泊、2日は八溝山に登り、途中上野宮の旅沢家に休息、再び慈雲寺に戻り宿泊、3日は大子村から袋田を経て小生瀬に至り大藤家に宿泊、雨天のため翌4日も大藤家に泊り、5日に大子地方を後にしたといわれています。こうした巡村のなかで斉昭は、当地方の景勝地にも足をのばし、ひとときの安らぎを得ることを忘れなかったと思われます
斉昭の歌碑は、袋田の滝を深勝し、月居峠にさしかかった頃にはすでに日暮れとなり、折しも山頂の雲間にかかる三日月を望んで詠んだもので、宿所の大藤家でこれを染筆して建碑を命じたものです。月居山頂はかつての城跡であり、斉昭は廃虚となった跡にたたずみ、いにしえに思いを寄せたと思われます
当初の碑は石質が悪く風化したため、現在ある碑は、天保8年(1837)に再建されたものです。「月居峯御碑 高五尺六寸 幅三尺三寸五分 厚六寸ヨリ七寸 八溝山沢真石 色青目」(加藤寛斎『常陸国北郡里程間数之記』)とあり、経費は村持ちで、峠の頂上に建てられたから、かなり大変な工事であったと思われます。後、天保11年には碑の修繕も行われています。なお、上野宮の旅沢家には、斉昭直筆の和歌「したひ来てやとにしいれはくれなゐになかめえならぬききは何そも」の扇面が遺されています。
- 区分:その他の文化遺産
- 種別:史跡
- 員数:1基
- 所在地:袋田字月居地内
地図を見る:徳川斉昭の歌碑
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