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金町屋台
制作年代
現在、古材として保管されている向拝前後の束に残る墨書には、それぞれ「明治十一歳 寅八月作之 山」、「明治十一歳 寅八月作 北越住 細埜助太郎作之 月」とあります。彫刻に制作年は記されていませんが、向拝右側面の菊彫の欄間には「野洲鹿沼住人 彫工 石 直吉 知興 門人 神山 留吉 秀興」とあります。石塚知興は、江戸末期に鹿沼周辺で作品を残した彫物師です。そのため、彫刻は、当初軸部と同時期の明治11年(1878)、又は彫物師の活躍した江戸末期と考えられます。
現在の屋台軸部、破風、金物類の大方は、平成元年(1989)に新調されています。また、平成25年(2013)には、屋台展開時に接続される本舞台も新調されています。
構造形式
前方は彫刻で装飾された向拝、後方は吹抜けで囃子方が乗る本屋の単層二連屋形屋台です。向拝と本屋の下部に据えられるそれぞれの架台は、水平に移動する車と回転の軸を備えています。上部を移動し、本舞台を設置することで、余興の舞台として機能する仕組みを残しています。
屋台は大八車の二輪車で、車軸に、梁で固定された前後に長い桁2本を乗せ、麻縄で巻付けて固定します。桁は長さ約4.9mで、7町内会の屋台中で最も短くなっています。桁上端には溝があり、最下部に車輪の付いた台が乗ります。その上に向拝、本屋の軸部が乗ります。向拝よりも本屋を一段高くしています。向拝後方の柱からは外側に竹の節を出し、袖幕を掛けます。向拝は正面に唐破風を構え、正面柱間は2本溝で4枚の格子戸が入ります。本屋屋根は切妻屋根、板葺で、正面と背面に切妻破風を構えています。両脇と後方の柱間には勾欄を設け、両脇の勾欄には2本溝が入っています。向拝と本屋は、内部の鉤鐶に縄を結びつけることで締められます。
舞台設置の際は、下部左側桁の外側、向拝下に掘られた二つの枘穴に、上面に溝のある材2本が接続され、向拝が左方向に移動、また向拝下層の台が回転します。本屋は前述の桁上の溝に沿って移動し、架台中央の軸で回転します。基本的には、向拝と本屋によって形成されたL字の空間に本舞台が設置されます。本舞台は台の上に板が乗る形であり、屋台とは分離しています。この際、正面となる本屋の側面片面には建具(金屏風)が入れられます。
彫刻、装飾類
彫刻の題材は、向拝は正面屋根上に獅子3頭、腰には獅子2頭と牡丹、また妻飾りと懸魚、左右内法長押には龍を用いています。向拝左右の小欄間は菊、大欄間は梅に女子3人、松と桜に男子2人、大欄間下は猫を用いています。本屋は前後の妻飾りに白赤の牡丹、左右側面の欄間は桜と鳥、桜と鶴、背面欄間は梅と鳥です。本屋前後4か所の桁隠には蝶、棟飾りは大波を用い、箱棟の上前後には鯱を乗せています。いずれも彩色が施されています。
地元では、彫刻に関しては、明治頃から修理、新調が行われていない、と伝えられています。
幕
胴巻の題材は、児島高徳と桜であり、「明治丙年歳四月 高揚」とあります。向拝水引は赤地に金町の文字、袖幕は赤地に牡丹、腰幕は青地で正面に金町の文字が入っています。
保管方法、屋台倉庫
金町の屋台倉庫は、金町の北、久慈川沿いに位置する2棟からなり、うち1棟は大谷石組積造平屋、切妻造。もう1棟は木造平屋切妻造です。石造には彫物類を保管しており、木造は軸部を保管していました。しかし、落石により木造倉庫は破損したため、現在は金町会所に隣接する旧銀行建物裏の蔵を、軸部を保管する仮倉庫として利用しています。古材に限っては、現在も木造倉庫に保管されています。石造の倉庫は近年の水害で5センチメートルほど浸水しましたが、彫物には影響がなかったため、変わらず使い続けられています。
- 区分:その他の文化遺産
- 種別:有形民俗文化財
- 員数:1台
- 所在地:大子字金町地内
- 制作年代:明治11年(1878)、軸部は平成元年(1989)に新調
- 規模: 間口(柱端間・柱巾含む。)1.995m 奥行き(前後柱端間・柱巾む。)3.376m 高 さ(棟木下端まで)4.191m
地図を見る:金町屋台
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- 2014年4月21日