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旧槙野地小学校

『旧槙野地小学校』の画像

 槙野地小学校は明治7年5月20日、佐原村立左貫小学校槙野地分校として創立します。その後、明治12年の火災を機に、同年現在地に移転、校舎新築し、大正15年に佐原村立佐原尋常高等小学校槙野地分校となりましたが、昭和31年に大子町立槙野小学校として独立しました。平成8年に佐原小学校へ統合し閉校しましたが、その後平成10年に改修され、現在は「おやき学校」として活用されています。

 校舎は校地東側の山裾に沿い、正面をやや西側に振るものの、東西棟として建っています。かつては校舎背面側に便所、図書室などもありましたが、校舎のみが現存しています。

 校舎は昭和25年(1951)の校地の移転に合わせて同年に竣工し、昭和36年(1961)には西側に増築しました。桁行総長38間、梁間5間、木造平屋建、切妻造、桟瓦葺で、現在は東側を売店やレストランとし、西側の増築部を製造工場などとしています。内部は大きく改修されており、当初の内部の様子がよく残るのはかつての職員室のみとなっていますが、痕跡より規模が判明します。当初部は東側の24間の部分で、北側を1.5間の廊下とし、東側に昇降口、西側に1間巾の通路をつけていました。教室は5×3.5間として東側に3室、玄関を挟んで西側に1室を配し、さらに西側の2×3.5間を職員室としていました。現在のおやき製造工場の部分が昭和36年に増築したもので、内部は4×3.5間の2教室としていました。

 基礎はコンクリート布基礎で土台を廻し、1間ごとに角柱を立て、柱上に方杖をつけています。柱上には桁を載せ、小屋はキングポストトラスとし、軸部や小屋組には機械製材品や金具を用いています。軒廻りは天井を張り、換気口を設け、小壁や妻壁は漆喰荒らし仕上げで、妻壁中央の換気口には、現在はサッシュをはめています。内部床は全面板張り、教室の天井は竿縁天井であったと思われます。外壁は簓子下見板、内壁は腰まで竪羽目板張り、腰上を漆喰塗の大壁となっています。

 教室南面は、西側1間は壁と半間の回転窓、東より2間目の1間巾は掃き出しの出入口とし、ほかの3間分に欄間窓付の引違いガラス窓を入れ、中央の切妻玄関は格天井を張り、現在は内開き戸としています。

 かつての職員室にのみ床板や竿縁天井、漆喰壁など当初の仕様が残りますが、他は全面床を下げて土足、天井は小屋組表しとしており、全体的改修されていますが、外観は当時の姿を残しつつその雰囲気に合わせて増築し、町内外から多くの人が訪れる場所として貴重な建物です。

  • 区別:国登録有形文化財
  • 種別:歴史的建造物
  • 員数:1棟
  • 所在地:槙野地2469

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