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町付城跡

画像:町付城跡 

 久慈川の支流八溝川と中郷川との合流点北西側の標高約190mの台地上にあります。この台地の西側の尾根筋をほぼ南北に堀切して、ここに3つの郭を築いていました。城跡の中心部は現在畑になっていますが、その周囲に堀跡が残っています。中心部より北東側は搦(からめ)とよばれる削平地があり、中郷川の急崖がせまっています。南東側に長く突き出た地形は城ノ内と呼ばれ、崖下に八溝川を望むことができます。
『新編常陸国誌』には、「久慈郡町付村古城ノ地ニアリ、依上保地頭深谷氏ノ遺地ナリ、文明中已ニ此地ニ居ル、永正中、佐竹氏依上ヲ掠領スルニ及ビ、深谷氏其管下ニ属ス、天文中伊豆守顕衡及ビ子重安アリ、土人今顕衡ヲ譌テ秋広トス、伝へ云フ、秋広嘗テ武茂城主某ト戦ヒ、敗レテ城陥ル、其子主馬四郎戦死スト、主馬又重安ト通称ス、然レドモ其事詳ナラズ、古城近傍柳町李平等ノ地名アリ、昔深谷氏家士ノ居ル所ト云フ、佐竹氏国ヲ去ルニ及ビ、城廃ス、顕衡ハ八溝山鐘銘ニ、地頭深谷顕衡并重安トアル人是ナリ」とあり、町付城は、文明年間(1469~1487)以来深谷氏が居城していたが、天文年間に武茂城主に敗れて落城したとも、義篤の攻撃により深谷伊豆守が落命したともいわれています。深谷氏について、『佐竹家臣系譜』に、広定は、「伝テ常州保内黒沢ノ城ニ住スト云」と記されていますが、この深谷広定と、依上保地頭深谷顕衡(秋広)重安の関係は不明です。
また、『新編常陸国詰』の黒沢町付の項には、「其萩ノ反及大音川ハ、昔時白川。佐竹二氏ノ雄ヲ争ヒシ地ナリ、故城址アリ、依上保地頭深谷氏居レリト云フ、佐竹幕下ノ士、荒巻駿河守藤原為秀、永禄、元亀ノ間、又コゝニ住セリトゾ」とあり、荒巻駿河守は。慶長7年(1602)佐竹氏の国替えの時に秋田へ下向しています。
現在も、李平、戸崎、要害沢、藤吾屋敷、堀切、堀之内、古宿、城ノ内、大安寺、搦、萩ノ反、柳田の小字名が残っています。

 

  • 区分:遺跡(周知の埋蔵文化財)
  • 種別:城館跡
  • 所在地:町付字大安寺1374ほか
  • 時代:中世

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