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月居城跡

 画像:月居城跡

画像:月居城跡(遠景)

 標高404mの月居山の山頂には、月居城がありました。『常陸国北郡里程間数之記』には、「此の所より左千仭の絶壁にして、恰も屏風を押立てたるに等し。敵を禦ぐの要地と云べし、此の峰西に月居斎の古城地あり。按ずるに爰に櫓を上げ、西の地を居住の地とすとみえたり」「古館跡本丸五間に十間、長さ二十間ほど、二丸五間に十二間、横十五間ほど、三の丸十四間に十六間。」と記されています。
『新編常陸国誌』に、「袋田氏始メテ築ク、袋田氏ハ佐竹ノ族ニテ、応永中二至テコゝニ住ス、同族小田山城守義資子ナキヲ以テ、袋田氏ノ嫡子ヲ以テ義資ノ子トス、山城守義継コレナリ、袋田氏絶シテ墟トナル」とあり、佐竹一族の袋田氏が初めて築城し、応永年間(1394~1428)に、ここに住んでいます。袋田氏は、佐竹惣領家と対立した山入庶子家の勢力下にありました。その後、袋田氏が美和村(現:常陸大宮市)の小田野氏の養子となって去ると廃墟となりました。
山入氏を滅ぼして国内統一を実現させた佐竹義舜は、白河結城氏から大子地方を奪還し、永正13年(1516)、石井氏、滑川氏らを月居城に在番させて大子地方支配の拠点としています。その後、永禄10年(1567)、佐竹義重は、野内隼人に対して、袋田の内30貫、生瀬の内20貫を充行っています。元亀天正の際の城代を野内肥前守広忠といい、その子が月居斎といわれた大膳亮です。豊臣秀吉の小田原陣まで、佐竹氏は伊達氏と南奥をめぐって対立していましたが、天正17年(1589)の須賀川陣に、義宣の命によって大膳亮は保内足軽を率いて参戦しています。
慶長7年(1602)の秋田への国替えの時に、広忠、大膳亮父子が父祖伝来の地と訣別して佐竹氏に従ったので廃城となりました。現在も、堀切、月居、陣場、井戸入、山王下、月居阪、古城の小字名が残っています。

 

  • 区分:遺跡(周知の埋蔵文化財)
  • 種別:城館跡
  • 所在地:袋田字月居地内
  • 時代:中世

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